フリーランスエンジニアとして案件を受注する際、契約書の損害賠償条項を読んで「万が一の場合、いったいいくら払わされるのだろう」と不安になったことはありませんか。会社員のときは雇用主が間に立ってくれましたが、フリーランスになった瞬間、すべての責任は自分ひとりで引き受けることになります。
しかし、損害賠償を恐れるあまり案件を選び過ぎてしまったり、不利な契約条件のまま受注してしまったりしているフリーランスエンジニアが多いのも現実です。適切な知識があれば、契約書の交渉で自分を守りながら、自信を持って案件を受注できるようになります。
本記事では、フリーランスエンジニアが直面する損害賠償・瑕疵担保責任のリスクを「請負契約 vs 準委任契約」という契約形態の違いから整理し、民法改正による変化も踏まえて解説します。さらに、契約書で損害賠償リスクを最小化するための具体的なポイントと、最後のセーフティネットとなる保険の選び方まで、実務的な視点でご紹介します。
この記事を読み終えたとき、損害賠償条項の読み方がわかり、安心して案件を受注できる判断軸が身についているはずです。
フリーランスエンジニアが直面する損害賠償リスクの実態

会社員との責任構造の違い
会社員がクライアントのシステムにバグを混入させた場合、法的な損害賠償責任は原則として雇用主である会社が負います(民法715条の使用者責任)。エンジニア個人が直接訴えられるリスクは、一般的に低い状況です。
一方、フリーランスエンジニアは個人事業主として契約を結ぶため、業務上の損害が発生した際には自分が直接当事者になります。会社という「盾」がない状態で、クライアントや第三者からの損害賠償請求を受けることになるのです。
フリーランス協会の調査によると、フリーランスのうち3人に1人が取引先とのトラブルを経験しているとされており(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会)、その中には損害賠償に発展するケースも含まれています。
損害賠償を請求される主な4つのケース
フリーランスエンジニアが損害賠償を請求されるケースは、主に以下の4つに分類されます。
1. 成果物の瑕疵(バグ・不具合) 納品したシステムやアプリにバグが含まれており、クライアントのビジネスに損害を与えた場合です。例えば、Webサイトのリニューアルを担当したエンジニアが、問い合わせフォームの不具合を見逃し、クライアントが数週間にわたって営業機会を逃した、というトラブルが実際に起きています。
2. 情報漏洩 業務の中でアクセスしたクライアントの顧客データや社内情報が、デバイスの紛失・盗難・不正アクセスなどによって流出した場合です。
3. 納期遅延 約束した納品日に間に合わず、クライアントが予定していたサービスリリースや契約に支障が生じた場合です。
4. 著作権侵害 他者の著作物を無断で転用したコードや画像を成果物に含めてしまった場合です。
これらのリスクを前提にしつつ、次に「契約形態の違い」がリスクの大きさに決定的な影響を与えることを確認してみましょう。
請負契約と準委任契約で損害賠償リスクはここまで変わる

フリーランスエンジニアが締結する業務委託契約には、大きく「請負契約」と「準委任契約」の2種類があります。この選択が、損害賠償リスクの質と量を大きく左右します。
請負契約の損害賠償リスク構造
請負契約とは、「一定の仕事を完成させること」を約束し、その完成に対して報酬を受け取る契約形態です(民法632条)。Webサイトの制作、アプリ開発、システム構築など、「成果物を納品する」案件では請負契約が使われることが多くあります。
請負契約で受注した場合、フリーランスエンジニアは以下の責任を負います。
- 完成義務: 約束した成果物を完成させる義務
- 契約不適合責任(旧:瑕疵担保責任): 成果物が契約内容に適合しない場合の修補義務・損害賠償義務
- 損害賠償責任: 債務不履行(不完全履行・履行遅滞・履行拒絶)が生じた場合の賠償責任
成果物に問題があった場合、クライアントは「修補の請求」「代金の減額請求」「損害賠償請求」「契約の解除」という4つの手段を行使できます。請負契約を締結した場合、フリーランスエンジニアは最もリスクが高い立場に置かれると理解しておきましょう。
準委任契約のリスク構造
準委任契約とは、「一定の業務を処理すること」に対して報酬を受け取る契約形態です(民法656条)。スプリント単位で参画するアジャイル開発、コード品質の改善、既存システムの保守運用など、「業務の遂行プロセス」に対して報酬が支払われる案件で多用されます。
準委任契約では、成果物の完成義務がありません。そのため、契約不適合責任も原則として適用されません。
ただし、準委任契約においても「善管注意義務」は課されます(民法644条)。善管注意義務とは、「その職業・立場の人が通常払うべき注意を持って業務を遂行する義務」です。エンジニアであれば、「一般的なエンジニアとして期待される水準の注意を払う」ことが求められます。善管注意義務違反があった場合には損害賠償を請求される可能性がありますが、「完成できなかった」だけで責任を問われることはありません。
比較項目 | 請負契約 | 準委任契約 |
|---|---|---|
報酬の発生条件 | 成果物の完成 | 業務の遂行 |
完成義務 | あり | なし |
契約不適合責任 | あり | なし |
損害賠償リスク | 高い(成果物責任) | 低い(善管注意義務のみ) |
主な案件例 | Webサイト制作・アプリ開発 | アジャイル開発・保守運用 |
受注する案件がどちらの契約形態に該当するかを確認し、請負契約の場合は特に後述の契約書対策を徹底することが重要です。
民法改正で何が変わったか——旧「瑕疵担保責任」と新「契約不適合責任」
2020年4月に施行された改正民法により、それまで「瑕疵担保責任」と呼ばれていた制度が「契約不適合責任」に名称が変わり、内容も大きく変化しました。フリーランスエンジニアとして契約を締結する際に知っておくべき主要な変更点は以下のとおりです。
通知期間の変化
旧法(瑕疵担保責任)では、「納品から1年以内」に請求する必要がありました。
改正民法(契約不適合責任)では、「クライアントが不適合を知った時から1年以内に通知する」ことで権利が保存されます(民法566条)。
この変更により、たとえば3年前に納品したシステムの問題が後から発覚した場合でも、クライアントが知った時点から1年以内であれば責任追及される可能性があります。
消滅時効
ただし、無期限に責任が続くわけではありません。権利が消滅する期間として、「クライアントが不適合を知った時から5年」または「引き渡しの時から10年」という消滅時効が定められています(民法166条1項)。
契約書に「契約不適合責任の期間を短縮する」旨の条項を設けることで、この期間を任意に短くすることができます(後述)。
契約書の損害賠償条項でフリーランスが守れる3つのポイント

損害賠償リスクを最小化するために、契約書の段階で以下の3つのポイントを必ず確認・交渉してください。
ポイント1: 損害賠償額の上限を「報酬額の範囲」に設定する
最も重要なのが、損害賠償額の上限(キャップ)を設定することです。上限がなければ、理論上はプロジェクトの規模に関係なく無制限の賠償責任を負う可能性があります。
推奨する設定: 損害賠償額の上限を「当該業務委託料(報酬額)の範囲内」に設定する
例えば、100万円の案件であれば損害賠償の上限も100万円とします。「直近3か月の取引金額の合計額を上限とする」と定めるケースもあります。
契約書に上限設定がない場合は、以下のような条項の追加を交渉しましょう。
「受託者の損害賠償責任の上限は、当該業務委託に関して受託者が委託者から受領した報酬の総額を限度とする。」
なお、重大な過失(故意や重過失)があった場合は、上限設定が無効になる場合があることも理解しておきましょう。
ポイント2: 賠償範囲を「直接損害」のみに限定する
損害賠償の範囲を「直接損害」に限定することも重要です。
- 直接損害: 問題発生と直接因果関係のある損害(バグ修正費用、システム停止中の直接的な損失など)
- 間接損害: 問題から派生した損害(逸失利益、風評損害、取引機会の損失など)
間接損害まで含めると賠償範囲が青天井になりかねません。以下の条項を契約書に設けるよう交渉しましょう。
「受託者が賠償する損害の範囲は、直接かつ現実に生じた通常損害に限るものとし、間接損害、逸失利益は含まないものとする。」
ポイント3: 契約不適合責任の通知期間を短縮する(請負契約の場合)
民法の規定では「知った時から1年」が通知期間ですが、特約で短縮することができます。請負契約を締結する場合は、「検収完了から6か月以内」などの条項を設けることで、長期間にわたる責任追及リスクを抑えられます。
「本件成果物の引き渡し後、委託者が契約不適合を発見した場合は、引き渡し日から6か月以内に書面にて通知するものとする。当該期間経過後は、委託者は契約不適合を理由とする請求をすることができないものとする。」
これらの条項が契約書に含まれていない場合や、不利な条件が設定されている場合は、受注前に交渉することをためらわないでください。正当なリスク管理として受け入れてもらえる可能性は十分あります。
損害賠償リスクを業務で最小化するための実務対策
契約書での保護に加えて、日々の業務プロセスでリスクを低減することも同じくらい重要です。
仕様変更・追加要望は必ず書面に残す
口頭での仕様変更は、後になって「言った・言わない」のトラブルになりやすい典型例です。クライアントからの変更要望はSlack・メール・議事録など書面(テキスト)で確認し、「了解です」という一文でも記録に残しておくことが重要です。
特に仕様変更が損害の直接原因となった場合、「クライアントの指示に基づいて変更した」という証拠が身を守る決定的な武器になります。
検収プロセスを明確化して責任範囲を区切る
「検収(受入検査)」が完了した時点で、それ以前の不具合についての責任範囲が区切られます。検収条件・手順・期間を契約書または別紙で明記しておきましょう。
「検収完了後の追加対応は別途有償」という取り決めも、事前に合意しておくことでトラブルを防げます。
納品物の動作確認記録を保存する
納品前のテスト結果・動作確認の記録(スクリーンショット・テスト仕様書・バグ管理ツールのログなど)は、必ず保存しておきましょう。
「納品時点で合理的な品質確認を実施した」という証拠は、損害賠償を請求された際の反論材料になります。
万一に備えるフリーランス向け損害賠償保険の選び方

契約書で守り、業務で予防することが第一ですが、万が一のリスクに備える保険への加入も検討しましょう。保険があることで、契約交渉時の心理的な余裕も生まれます。
フリーランス向け損害賠償保険が必要な理由
いくら契約書で上限を設定しても、重大な過失があれば上限を超える請求を受けるリスクがあります。また、裁判・示談交渉には弁護士費用などのコストもかかります。フリーランス向け損害賠償保険は、こうした予測不能なリスクをカバーするセーフティネットです。
保険選びの3つのチェックポイント
保険を選ぶ際は、以下の3点を確認してください。
1. 補償上限が十分か(目安: 1億円以上) 受注する案件規模に見合った補償上限を選びましょう。IT・クリエイティブ案件では1,000万円〜1億円の補償が標準的です。
2. 示談交渉サービスが付いているか 損害賠償請求を受けた際、保険会社が交渉を代行してくれるサービスがあると、法的手続きのコストと時間を大幅に削減できます。
3. IT・クリエイティブ業務に対応しているか 「情報漏洩」「納品物の瑕疵」「著作権侵害」「納期遅延」など、エンジニア特有のリスクを補償対象としているかを確認してください。
代表的なフリーランス向け保険の概要
保険 | 特徴 | 補償上限の目安 |
|---|---|---|
フリーランス協会 賠償責任保険 | 年会費1万円で自動付帯。情報漏洩・瑕疵・著作権侵害・納期遅延を補償(フリーランス協会)。2024年8月に補償内容を改定 | 業務過誤: 1,000万円、PL責任: 1億円 |
FREENANCE あんしん補償 | 請求書ファクタリングと一体型。フリープランは会費無料で基本補償が付帯(FREENANCE)。IT・クリエイティブ職向け | 最高5,000万円(基本補償)、業務過誤: 最高500万円 |
なお、各保険の詳細な補償内容・保険料は時期によって変更される場合がありますので、加入前に公式サイトで最新情報を確認してください。
まとめ
フリーランスエンジニアの損害賠償リスクは、正しい知識と対策によって大幅に管理できます。本記事のポイントを整理します。
- 契約形態を確認する: 請負契約は成果物責任(契約不適合責任)を負うが、準委任契約は善管注意義務のみ。リスクの大きさが根本的に異なる
- 民法改正を知る: 瑕疵担保責任は「契約不適合責任」に変わり、「知った時から1年」の通知期間が設けられた
- 契約書で3つを守る: ①損害賠償額の上限を報酬額の範囲に設定する、②賠償範囲を直接損害に限定する、③契約不適合責任の通知期間を短縮する
- 業務で予防する: 仕様変更の書面記録・検収プロセスの明確化・動作確認記録の保存
- 保険で担保する: 補償上限・示談交渉サービス・IT業務対応の3点を確認して選ぶ
フリーランスとして長く安心して働くためには、一つひとつの案件で自分を守る準備を整えることが重要です。契約書の損害賠償条項を正しく読み、必要な条件を交渉することで、リスクを大幅に低減できます。



