エンジニアの採用を検討するとき、多くの方が「正社員の年収」と「業務委託の月額単価×12」を単純に比べて判断しようとします。しかし、この比較方法には大きな落とし穴があります。正社員を雇う場合、給与以外にも社会保険料・採用コスト・教育研修費・オフィスコストなど、さまざまな間接費が発生します。一方、業務委託にも、エージェント手数料や契約手続きコストが存在します。
「どちらが安いか」を正確に判断するためには、これらを含めた総コスト(TCO: Total Cost of Ownership)を比較する必要があります。単純な金額比較では、判断を誤るリスクが高いのです。
この記事では、正社員と業務委託のコストをすべての費用項目を含めて試算し、損益分岐点を計算する方法をご説明します。また、コスト以外の判断軸もチェックリスト形式で整理しました。経営層への説明資料や意思決定の根拠としてご活用ください。
正社員と業務委託、「給与だけ比較」では判断を誤る理由
「正社員で年収600万円のエンジニアを採用するか、月70万円(年間840万円)の業務委託エンジニアに発注するか」という比較をしたとき、単純に数字だけを見ると業務委託の方が高く見えます。しかし、実際には正社員を雇う場合に給与以外のコストが上乗せされるため、この比較は正確ではありません。
正社員の「本当のコスト」は給与の1.3〜1.5倍
正社員を雇用する企業が実際に負担するコストは、給与だけではありません。社会保険料(健康保険・厚生年金・雇用保険・労災保険)の会社負担分だけで、給与の約15〜16%が上乗せされます。さらに採用コスト・教育研修費・福利厚生費・オフィスコストを加算すると、実質的な雇用コストは給与の1.3〜1.5倍に達することが多いです。
つまり、年収600万円の正社員エンジニアを雇う場合、企業が実際に負担する総コストは800〜900万円規模になる可能性があります(AXIS Agent調べ)。
業務委託の「見えにくいコスト」(エージェント手数料・採用コスト)
業務委託は「社会保険料がかからないから安い」とよく言われますが、費用がまったくかからないわけではありません。人材紹介エージェント経由でフリーランスエンジニアを探す場合、紹介手数料として報酬の10〜20%程度が別途発生します。また、要件定義書の作成や契約手続きにも時間・コストがかかります。
これらを加味した上で、正確なコスト比較を行うことが重要です。
正社員エンジニアを雇用したときの総コスト試算

ここでは、「年収600万円(月給50万円)のエンジニアを正社員として採用する」ケースを例に、1年間の総コストを試算します。
社会保険料(会社負担)の具体的な金額
2026年度(令和8年度)の保険料率を基に計算します(協会けんぽ・東京都・40歳未満の場合)。
保険種別 | 保険料率(会社負担) | 月額負担額 | 年間負担額 |
|---|---|---|---|
健康保険 | 4.925% | 約24,625円 | 約295,500円 |
厚生年金 | 9.15% | 45,750円 | 549,000円 |
雇用保険 | 0.85% | 4,250円 | 51,000円 |
労災保険 | 0.2%(情報通信業) | 1,000円 | 12,000円 |
合計 | 約15.1% | 約75,625円 | 約907,500円 |
出典: 全国健康保険協会 令和8年度保険料率、社会保険料率と雇用保険料率の改定について
社会保険料だけで年間約90万円が給与の上乗せとして発生します。
採用コストの内訳と相場
正社員エンジニアの採用コストは、採用手法によって大きく異なります。
採用手法 | コスト |
|---|---|
転職エージェント(人材紹介) | 年収の30〜35%(年収600万円なら180〜210万円) |
求人媒体掲載 | 30〜100万円程度 |
採用担当者の工数(社内コスト) | 50〜100万円相当 |
エンジニアの採用は難易度が高く、人材紹介手数料は年収の35〜45%に設定されることも多くなっています(HiPro Tech調べ)。年収600万円のエンジニアをエージェント経由で採用した場合、紹介手数料だけで180〜270万円かかる計算です。
教育・研修・設備コスト
コスト項目 | 年間目安 |
|---|---|
教育・研修費(1人あたり) | 30〜80万円(入社1年目) |
PC・ソフトウェア・備品 | 20〜30万円(初期) |
オフィス賃料相当(1席) | 50〜100万円/年 |
教育研修費は2026年の調査では、IT・エンジニア系の研修費用は1人あたり年間平均50〜70万円程度とされています(KeySession調べ)。
試算まとめ(1年目・2年目以降)
コスト項目 | 1年目 | 2年目以降 |
|---|---|---|
給与・賞与(年収600万円) | 600万円 | 600万円 |
社会保険料(会社負担) | 90万円 | 90万円 |
採用コスト(エージェント) | 200万円 | 0円 |
教育・研修費 | 60万円 | 20万円 |
PC・備品(按分) | 25万円 | 10万円 |
オフィスコスト(1席分) | 60万円 | 60万円 |
合計 | 約1,035万円 | 約780万円 |
1年目の実質コストは1,000万円超になり得ます。2年目以降は採用コストがなくなるため780万円程度に落ち着きますが、それでも給与の1.3倍のコストが発生します。
業務委託エンジニアを活用したときの総コスト試算
次に、業務委託エンジニア(フリーランス)をフルタイム(月140〜160時間相当)で活用する場合の総コストを試算します。
月額報酬の相場(職種・スキル別)
2026年のデータによると、フリーランスエンジニアの月額平均単価は79.9万円(2026年2月、フリーランススタート調べ)です。職種別には以下の通りです。
職種 | 月額単価の目安 |
|---|---|
フロントエンドエンジニア | 60〜90万円 |
バックエンドエンジニア | 65〜90万円 |
インフラ・SREエンジニア | 70〜100万円 |
プロジェクトマネージャー | 80〜120万円 |
AIエンジニア | 80〜130万円 |
正社員で年収600万円相当のエンジニアと同等のスキルを業務委託で調達する場合、月70〜80万円程度が相場感となります。
エージェント/マッチングサービス費用
人材エージェント経由で業務委託エンジニアを調達する場合、紹介手数料として月額報酬の10〜20%程度が発生します。月70万円のエンジニアであれば、7〜14万円の手数料が別途かかる計算です。
なお、Workeeのような複業特化のマッチングプラットフォームを活用する場合は、手数料体系が異なる場合があります。
業務委託では発生しないコスト
業務委託の場合、以下のコストは発生しません。
- 社会保険料(会社負担分): 年間約90万円分を節約
- 転職エージェント採用手数料: 年間180〜270万円分を節約
- 福利厚生費(健康診断・住宅手当等): 年間20〜50万円分を節約
- 退職金の積み立て
業務委託の年間総コスト試算
コスト項目 | 月額 | 年間 |
|---|---|---|
月額報酬(月70万円×12か月) | 70万円 | 840万円 |
エージェント手数料(報酬の10%) | 7万円 | 84万円 |
契約手続きコスト(弁護士確認等) | - | 5〜10万円 |
合計 | 77万円〜 | 約930〜940万円 |
一見、年収600万円の正社員の2年目以降コスト(780万円)と比べると業務委託(930万円)の方が高く見えます。しかし、1年目で比較すると正社員(1,035万円)と業務委託(930万円)は逆転します。この「期間による有利不利の変化」が損益分岐点の核心です。
損益分岐点の試算方法:何ヶ月で正社員の方がお得になるか

「同じスキルを正社員で採用した場合と業務委託で活用した場合、何ヶ月の稼働で正社員のほうがコスト優位になるか」を計算する方法をご説明します。
損益分岐点の計算式
損益分岐点(月数)= 初期コスト差額 ÷ 月次コスト差額
初期コスト差額 = 正社員採用時の初期費用(採用・教育等)
月次コスト差額 = 業務委託の月次コスト - 正社員の月次コスト(給与+社保等)
短期・中期・長期での有利不利の目安
活用期間 | コスト優位 | 理由 |
|---|---|---|
3〜6ヶ月 | 業務委託 | 採用コスト回収前。正社員1年目のコストが高い |
1〜2年 | どちらとも言えない | 初期コスト回収が進む期間。スキルや継続性で判断 |
3年以上 | 正社員 | 採用コスト回収後は毎月の固定コストが業務委託より低い |
計算例(年収600万円正社員 vs 月額70万円業務委託)
先ほどの試算をもとに計算します。
正社員の月次コスト(2年目以降)
- 給与:50万円
- 社会保険料(会社負担):7.5万円
- 教育・備品・オフィス:7.5万円
- 合計:65万円/月
業務委託の月次コスト
- 月額報酬:70万円
- エージェント手数料(10%):7万円
- 合計:77万円/月
月次コスト差額:77万円 - 65万円 = 12万円(業務委託の方が割高)
初期コスト差額(正社員採用の1年目追加費用)
- 採用コスト:200万円
- 1年目追加教育費:40万円
- 合計:240万円
損益分岐点:240万円 ÷ 12万円/月 = 20ヶ月
この計算例では、約20ヶ月(1年8ヶ月)以上の継続稼働が見込める場合は正社員採用の方がコスト効率が良く、それより短い場合は業務委託の方が総コストを抑えられるという結論になります。
ただし、月額単価や採用コストは条件によって大きく変わるため、自社の数字を当てはめて試算することをおすすめします。また、社会保険料の詳細な計算についてはフリーランスと正社員のコスト比較|社会保険料で見る差額も参考にしてください。
コストだけでは決まらない:正社員 vs 業務委託の判断チェックリスト

コスト計算が完了しても、最終的な意思決定にはコスト以外の要素も関わります。以下のチェックリストで整理してください。
正社員採用が向いているケース
以下の条件が多く当てはまる場合は、正社員採用を優先することを検討してください。
- 2年以上の継続稼働が見込まれる業務がある
- 機密情報・顧客データを扱う業務が多い
- チームのカルチャー・価値観への深い理解が必要
- 社内技術の知識蓄積・引き継ぎが重要
- 採用活動に6ヶ月以上の余裕がある
- フルタイムで業務に専念してほしい
- 長期的に組織の中核となる人材を育てたい
業務委託活用が向いているケース
以下の条件が多く当てはまる場合は、業務委託活用を優先することを検討してください。
- プロジェクト期間が明確(6〜18ヶ月程度)
- 即戦力のスキルが必要で、教育時間の余裕がない
- 特定の技術スキル(例: AWS移行、React実装)にピンポイントで対応したい
- 採用にかける時間・コストを最小化したい
- 業務量が変動するため、柔軟にリソースを調整したい
- 2〜3週間以内にリソースを確保する必要がある
ハイブリッド活用(正社員+複業エンジニアの組み合わせ)
正社員採用か業務委託かの二択だけでなく、「コアとなる正社員エンジニア + スポット活用の複業エンジニア」というハイブリッドモデルも有効です。
例えば、社内に1〜2名の正社員エンジニア(システム全体の理解・コードレビュー担当)を置きつつ、実装フェーズの繁忙期に複業エンジニアを追加で活用する方法です。この場合、コアメンバーの採用コストは発生しますが、スポット活用の業務委託エンジニアは必要なときだけ契約できるため、固定コストを抑えられます。
なお、社内エンジニアと外部人材の採用判断軸については社内エンジニア採用 vs 外注:コスト比較も参考にしてください。
複業エンジニア活用という第3の選択肢
フルタイムの業務委託エンジニアと正社員採用の中間に位置する選択肢として、週1〜3日稼働の複業エンジニアがあります。
複業エンジニアのコスト感と適した用途
複業エンジニアの月額コストは、週2日程度の稼働で20〜35万円程度が目安です。フルタイムの業務委託(月70〜80万円)と比べると大幅にコストを抑えられます。
適した用途としては以下が挙げられます。
- 新技術の導入支援・技術顧問(週1〜2日の壁打ち相談)
- 既存システムのコードレビュー・品質改善
- 限定的な実装タスク(機能追加・API連携など)
- 採用候補者の技術面接の評価補助
月20〜35万円のコストで高いスキルを持つエンジニアに関与してもらえるのは、スタートアップや中小企業にとって特に大きなメリットです。
フルタイム業務委託と複業の使い分け方
ケース | 推奨する活用形態 |
|---|---|
開発フェーズが明確で、週40時間の稼働が必要 | フルタイム業務委託(月70〜90万円) |
技術的な壁打ちや週数日のレビューが欲しい | 複業エンジニア(月20〜35万円) |
スポットの実装タスク(50〜100時間程度) | 時間単価での業務委託 |
2年以上の長期継続・チームの中核人材 | 正社員採用 |
複業エンジニアを活用する場合は、週ごとの稼働時間・担当タスク・コミュニケーション方法を事前に明確にしておくことが、ミスマッチを防ぐポイントです。
正社員と業務委託エンジニアのコスト比較は、単純な金額比較ではなく、活用期間・スキル要件・業務の性質を総合的に考慮した上で判断することが重要です。この記事でご紹介した試算方法とチェックリストを活用して、自社に最適な採用・活用形態を選んでください。



