フリーランスエンジニアに業務を依頼する際、適切な秘密保持契約(NDA)の締結は欠かせない準備の一つです。しかし多くの発注企業では「NDAが必要なのは分かっているが、フリーランスエンジニアに特化した内容をどう整備すればいいか分からない」という状態が続いています。
一般的なNDA雛形をそのまま使うと、エンジニア業務に特有のリスク——ソースコードの著作権帰属や複数社との掛け持ち契約による情報混在——への対処が不十分になりがちです。法務専任の担当者がいない中小企業ではなおさら、何を確認してどう進めれば良いのか判断しづらい状況です。
本記事では、発注企業の実務担当者の視点で、フリーランスエンジニアとのNDA締結に必要な条項と実務手順を解説します。また、2024年11月に施行されたフリーランス保護法がNDA締結にどう影響するかについても確認します。
フリーランスエンジニアとのNDA締結が必要な理由

フリーランスエンジニアとの業務委託において、通常の業務委託契約書だけでは情報保護として十分ではありません。NDAを別途締結することが標準的な実務慣行になっています。
フリーランスエンジニアが業務上アクセスする情報の特性
フリーランスエンジニアに業務を依頼する際、さまざまな機密情報を共有することになります。代表的なものを確認しておきましょう。
- ソースコードと設計情報: 自社システムの構造や実装方針が分かるソースコード、アーキテクチャ設計書、データベース設計書など
- 業務要件と顧客情報: 新サービスの企画内容、ユーザーデータの構造、取引先との業務フロー
- セキュリティ関連情報: インフラ構成、認証方式、APIキーや認証情報の管理方法
これらの情報が漏洩した場合、競合への技術的な優位性の流出や、顧客情報の漏洩による信頼損失、場合によっては不正競争防止法上の問題に発展する可能性があります。
NDA未締結で起こるトラブル事例
NDAを締結しないまま業務を進めると、以下のようなトラブルが発生した際に法的対処が困難になります。
ケース1: 元フリーランスが競合に転職し、技術情報を活用された
NDA未締結の場合、情報を「故意に持ち出した」という立証が難しくなります。NDAがあれば、契約違反として損害賠償請求の根拠になります。
ケース2: 完成したソースコードの権利帰属でトラブルに
日本の著作権法では、プログラムの著作権は原則として作成したフリーランスエンジニア本人に帰属します(著作権法第17条)。業務委託契約やNDAで著作権譲渡を明示しておかないと、後になって「著作権はエンジニア側にある」とトラブルになるケースがあります。
フリーランスエンジニアとのNDAに盛り込むべき5つの条項

発注企業としてフリーランスエンジニアとNDAを締結する際、必ず盛り込むべき5つの条項を解説します。
秘密情報の定義(ソースコード・設計書・顧客情報を明示)
NDA上で最も重要な条項の一つが「秘密情報の定義」です。定義が曖昧なままだと、情報漏洩があっても「その情報はNDAの対象ではない」と主張されるリスクがあります。
フリーランスエンジニアとのNDAでは、以下を秘密情報として明示することをお勧めします。
- ソースコード・システム設計書・アーキテクチャ情報
- データベース設計・スキーマ情報
- 顧客情報・ユーザーデータ
- 業務プロセス・ビジネスロジック
- 認証情報・APIキー・セキュリティ設定
「秘密と明示したもの」のみを秘密情報とすると保護範囲が狭まるため、「業務上知り得た一切の技術的・営業的情報」を秘密情報とした上で、例外事項(すでに公知の情報、第三者から正当に入手した情報など)を列挙する形式が一般的です。
秘密保持期間(契約終了後も続く義務)
業務委託契約が終了しても、秘密保持義務は継続させる必要があります。「契約終了後〇年間」という形で明記しましょう。
一般的な秘密保持期間は契約終了後2〜5年程度とされています。ソースコードやシステム設計のような技術情報は変化が早いため、3年程度が実務的なバランスとなるケースが多いです。ただし、特に重要な情報については「契約期間中および終了後5年間」と長めに設定することも選択肢の一つです。
目的外使用禁止と利用範囲の明確化
秘密情報を「委託された業務の目的のためのみ」に使用することを明記します。フリーランスエンジニアが受け取った情報を自社サービスの開発に転用するリスクを防ぐために重要な条項です。
利用目的は具体的に記載することが大切です。「本契約に基づく〇〇システム開発業務のためのみ」のように、委託する業務の内容を特定します。目的が広すぎると他への流用を制限しにくくなり、狭すぎると業務遂行の妨げになります。
第三者への再開示制限(複数社と契約するフリーランス特有のリスク)
フリーランスエンジニアは複数の企業と同時に業務委託契約を結んでいることが少なくありません。この状況は、意図しない形で自社の秘密情報が他のクライアントのプロジェクトに流用されるリスクをはらんでいます。
第三者への再開示を原則禁止とした上で、フリーランスエンジニアが業務を外注する場合(他のエンジニアを使う場合)には、事前に書面で承認を得ることを条件とするのが安全です。再開示が認められる場合でも、再開示先も同等の秘密保持義務を負うことを明記しましょう。
契約終了時の情報返還・廃棄義務
業務委託終了後、フリーランスエンジニアが保有する秘密情報の扱いを明確にします。
- 書類・資料の返却または廃棄
- データの完全削除(復元不可能な形で)
- 電子媒体・記録媒体の処理方法
これらを契約書に明記し、終了時に確認書を取り交わすと安心です。特に、クラウドストレージや個人PCに保存されたデータの扱いも含めて確認することをお勧めします。
フリーランスエンジニア特有のリスクと追加条項

一般的なNDAに加えて、フリーランスエンジニアとの取引では以下のリスクへの対処が重要です。
ソースコードの知的財産権帰属(著作権をどう取り扱うか)
前述のとおり、日本の著作権法では、フリーランスエンジニアが作成したプログラムの著作権は原則としてそのエンジニア本人に帰属します。業務委託契約やNDAで明示的に著作権を発注企業に移転する旨を定めておかなければ、完成したシステムを自由に改変・流用できない事態が生じる可能性があります。
NDAまたは業務委託契約書に以下の条項を追加することをお勧めします。
- 業務の過程で作成された成果物(ソースコード、設計書等)の著作権は、発注企業に帰属する旨
- 著作者人格権(氏名表示権・同一性保持権)を行使しない旨の特約
ただし、フリーランスエンジニアが既に保有していた既存のライブラリやツールについては著作権の対象外とし、成果物に組み込む場合はライセンス条件を確認・明記することが必要です。
複数社掛け持ちエンジニアの情報漏洩リスク
フリーランスエンジニアが複数の企業と同時に仕事をしている場合、以下のリスクが生じます。
- 異なるプロジェクトで得た技術的なノウハウや設計思想が混在する
- 似たような業種の複数クライアントと仕事をしている場合、意図せず情報が共有される
- 競合他社の業務を並行して受けている可能性がある
これに対処するため、NDAに「競合他社との業務委託契約の有無を開示する義務」または「競合他社との同時契約を制限する条項」を検討する企業もあります。ただし、過度な制限はフリーランス保護法との兼ね合いが生じるため、後述のとおり合理的な範囲での設定が必要です。
競業避止義務とのバランス(過度な制限は無効になる可能性)
契約期間中または終了後に「競合他社の業務を受けてはいけない」という競業避止義務を設けることは可能ですが、その範囲が広すぎる場合は公序良俗違反として無効になるリスクがあります。
競業避止義務を設ける場合は、以下の点を合理的な範囲に収めることが重要です。
- 地域: 広すぎる地域的制限は無効
- 期間: 契約終了後1年以内が目安(それ以上は慎重に)
- 業務範囲: 「同業種全般」ではなく「特定の技術・製品カテゴリ」に絞る
2024年11月施行のフリーランス保護法では、フリーランスに対する不当な取引制限が禁じられており、過度な競業避止義務はこれに抵触する可能性があります。詳細は後述します。
NDA締結の実務フロー(3ステップ)

法務専任者がいない中小企業でも実施できる、3つのステップをご紹介します。
ステップ1: NDA雛形の取得と自社業務への適合確認
まず、システム開発業務に対応したNDA雛形を入手します。一般的なビジネス向けNDAと、システム開発・IT業務向けNDAでは記載内容が異なるため、IT業務特化の雛形を使うことが重要です。
雛形を入手したら、自社のビジネス内容・委託する業務内容に合わせて以下を確認・カスタマイズします。
- 秘密情報の定義が自社の業務内容を網羅しているか
- 秘密保持期間が自社のビジネスサイクルに合っているか
- 著作権帰属条項が業務の性質に合っているか
なお、弊社では「システム開発における秘密保持契約書(NDA)の雛形」を無料でダウンロード提供しています。フリーランスエンジニアとの業務委託を想定した条項構成になっていますので、ご活用ください。
ステップ2: フリーランスエンジニアとの内容確認・合意
雛形の準備ができたら、フリーランスエンジニアに内容を確認してもらいます。
一方的に締結を求めるのではなく、各条項の意図を説明しながら合意形成を進めることが、長期的な信頼関係構築にも繋がります。特に、秘密情報の定義範囲や競業避止義務の内容は、双方にとって納得感のある内容に調整しましょう。
業務開始前に必ず締結することが原則です。情報の共有が始まってからNDAを求めても「すでに知っている情報は対象外」という主張につながりかねません。また、業務委託発注の要件定義書と並行して整備することで、業務委託全体の法的整備を効率的に進められます。
ステップ3: 電子契約サービスによる効率的な締結
フリーランスエンジニアはリモートワーカーが多く、郵送での書面締結よりも電子契約サービスを使う方が実務的です。
電子契約を活用することで、以下のメリットが得られます。
- 締結までのリードタイムの短縮(数日→数時間)
- 原本保管・版管理のコストを削減
- 締結状況の一元管理
- 収入印紙が不要(電子契約は文書税法上の課税対象外)
また、電子契約では締結の記録(タイムスタンプ・IPアドレス等)が残るため、後日「締結した・していない」のトラブルを防ぐ効果もあります。
フリーランス保護法(2024年施行)とNDAの関係
2024年11月1日に施行された「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(フリーランス保護法)は、フリーランスへの発注に関するルールを法的に整備したものです。NDA締結にも関わる点を確認しておきましょう。
フリーランス保護法がNDA締結に与える影響
フリーランス保護法では、発注企業が「優越的地位の濫用」に相当する行為を行うことが禁止されています。NDA締結において注意が必要な点は以下です。
- 合理的な範囲を超えた秘密情報の定義: 業務に関係のない広範な情報まで秘密情報として指定することは問題になり得ます
- 不当に長い秘密保持期間: 業務の性質に照らして合理的な期間を超える秘密保持義務の強要は避けるべきです
- 過度な競業避止義務: フリーランスの職業選択の自由を不当に制限することは禁止されています
同法の詳細については、フリーランス保護法で発注企業が守るべき義務7つと2026年の対応手順もあわせてご確認ください。
一方的に不利な条項の回避ポイント
適切なNDAは、発注企業とフリーランスエンジニア双方の利益を守るものです。以下の点を意識して条項を設計しましょう。
- 秘密情報の定義は必要最小限に絞る
- 秘密保持期間は業務の性質に見合った範囲に設定する
- 競業避止義務を設ける場合は、期間・範囲・地域を合理的に限定する
- 違反時の損害賠償額は現実的な範囲に留める
フリーランス保護法の施行により、契約条項の公正性への意識は今後さらに高まります。長期的な信頼関係構築のためにも、フェアなNDAを目指すことが発注企業としての信頼性につながります。
まとめ
フリーランスエンジニアとのNDA締結は、発注企業として自社の情報を守るための重要な準備です。一般的なNDA雛形に加えて、エンジニア業務特有の観点——ソースコードの著作権帰属、複数社掛け持ちによる情報混在、競業避止義務のバランス——を考慮した条項設計が必要です。
本記事で解説した5つの基本条項と3つのエンジニア固有リスクへの対処法を参考に、自社の状況に合ったNDAを整備してください。
法務専任者がいない中小企業でも、適切な雛形と3ステップの実務フローで対応できます。システム開発業務向けに設計された「システム開発における秘密保持契約書(NDA)の雛形」を活用して、スムーズにNDA締結を進めていただければ幸いです。



