「業務改善で効果が出ることは分かっている。でも、稟議書に書ける金額の根拠が組み立てられない」――DX推進担当者・情シス担当者がROI試算で最初にぶつかるのが、この壁ではないでしょうか。
経営層に「投資対効果を示して稟議に上げてほしい」と言われ、Excelで試算表を作ったものの、「効果額の根拠が薄い」「他のシナリオはないのか」「ランニングコストは?」と差し戻された経験があるかもしれません。困っているのは「ROI=(効果−投資)÷投資×100」という数式そのものではなく、「自社のどの数値を、どの単価で、どこまでの範囲で拾えば、経営層が納得する効果額になるか」という手順と根拠です。
この記事では、DX・システム化のROI計算を「業務選定→効果定量化→投資コスト算定→ROI試算→経営層説明」の5ステップに分解し、それぞれのステップで突っ込まれやすい論点を先回りで解説します。記入例つきの試算テンプレートと、楽観・標準・保守の3シナリオ感度分析、そして経営層からの典型的な反論への回答例まで一気通貫で提示します。
本記事を読み終えるころには、テンプレートの数値を自社の値に置き換えるだけで稟議資料の骨子が完成し、「なぜこの業務をシステム化するのか」「効果額はどう計算したのか」「失敗したらどうするのか」を自分の言葉で説明できる状態を目指します。
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DX・システム化のROI計算が稟議で通らない理由
「業務効率化されることは間違いない」と現場が確信していても、稟議書の段階で何度も差し戻されるのは珍しいことではありません。まずは、その差し戻しが起きる構造的な理由を整理しておきましょう。
効果が「肌感覚」で止まる3つの構造的理由
DX・システム化の効果が金額化しにくいのには、以下の3つの構造的理由があります。
- 無形効果が多い: 「ミスが減る」「ストレスが減る」「意思決定が早くなる」といった効果は、それ自体が金額単位ではありません。何らかの「換算ロジック」を間に挟まないと数字になりません。
- 効果が遅延発生する: システムを導入してから効果が顕在化するまで、半年〜1年のタイムラグがあります。投資の意思決定時点では「将来の効果」を予測するしかありません。
- 業務横断で測定単位がない: 「経理の処理時間」と「営業の商談時間」と「在庫廃棄ロス」を同じものさしで比べることは、社内に標準化された指標がないと困難です。
つまり、効果が出ないのではなく、効果を金額に変換する「手順」と「単価」と「換算式」を社内に持っていないだけです。本記事では、この変換手順を5ステップで提供します。
経営層が稟議書で見ている3つの観点
差し戻される側にも、差し戻す側の論理があります。経営層が稟議書を見るときに重視しているのは、おおむね次の3点です。
- 投資回収期間: 「いつまでに投資額を回収できるか」。社内でローカルに「3年以内」「2年以内」などの目安が設定されているケースが多くあります。
- 効果額の根拠: 「その効果額はどんな仮定から導いたか」。仮定が変わると効果額がどう動くかまで説明できることが理想です。
- 失敗時のダウンサイド: 「期待通りの効果が出なかったとき、どこで止めるか」。撤退基準や追加投資の判断ラインを事前に決めておくことが求められます。
担当者が「効果額を作る」ことに集中すると、3つ目の「失敗時の備え」が手薄になりがちです。本記事の後半(経営層への説明セクション)では、この点も含めて稟議の組み立て方を示します。
本記事のスコープ
本記事は「DX・システム化の業務選定段階から経営層説明資料の作成まで」を対象範囲としています。基幹リプレース・販売管理・在庫管理・SaaS導入・業務自動化など、いわゆる通常のシステム投資を想定しています。
AI特有の論点(モデル精度をどう効果に変換するか等)はAI投資のROI測定方法で扱っており、IT投資全般のROIの考え方はIT投資のROIとはで別途解説しています。本記事と合わせて参照することで、投資意思決定の全体像が把握できる構成にしています。
コラム: 開発側から見た「稟議で潰されるシステム化案件」の共通パターン
秋霜堂株式会社では、構想段階からシステム開発を伴走する案件を多く手がけています。その立場で見ると、稟議で潰される案件には共通したパターンがあります。
- 効果が「現場の体感時間削減」だけで構成されている: 削減時間×時給単価という単純式に終始し、削減した時間が何に再配分されるかの説明が欠落しているケースです。経営層は「で、その時間で何が増えるのか」を必ず聞いてきます。
- 投資額が初期費用しか書かれていない: ランニング費用・教育費用・運用保守費用が抜けていると、稟議承認後に予算が膨らみ、信頼を失います。
- 「他案件との比較」がない: 同じ予算枠を奪い合う他の投資案件と比べて、なぜこれを優先すべきかの説明がないと、稟議は通りません。
これらは本記事の各ステップで先回りして潰していきます。
DX システム化 ROI 計算の基本式と全体フロー
具体的なステップに入る前に、ROIの基本計算式と本記事の全体像を地図として共有します。読み進める中で「自分は今どのステップにいるか」を意識すると、社内の試算作業に持ち帰りやすくなります。
ROIの基本計算式
ROI(投資収益率)は、以下のシンプルな式で表現されます。
ROI(%) = (効果累計 − 投資コスト) ÷ 投資コスト × 100
合わせて、投資回収期間(ペイバック期間)も同時に計算するのが実務での標準です。
投資回収期間(年) = 投資コスト ÷ 年間効果額
例えば投資コストが1,000万円、年間効果額が500万円なら、投資回収期間は2年です。3年間の効果累計が1,500万円なら、3年ROIは「(1,500 − 1,000) ÷ 1,000 × 100 = 50%」となります。
注意したいのは、経営層は「ROIの%」よりも「投資回収期間が何年か」を重視する傾向が強いことです。社内でROI何%を合格ラインにしているかは曖昧でも、「3年以内に回収」「2年以内に回収」といったルールは明文化されているケースが多くあります。
DX・システム投資ROI算定の5ステップ俯瞰
本記事ではROI算定を以下の5ステップに分解します。各ステップの位置づけを先に俯瞰しておきましょう。
ステップ | 目的 | このステップで決まること |
|---|---|---|
① 業務選定 | 複数のシステム化候補から優先順位を決める | どの業務をシステム化対象にするか |
② 効果定量化 | 業務改善効果を金額に変換する | 年間効果額(時間削減・コスト削減・売上増) |
③ 投資コスト算定 | TCOで投資額の総量を把握する | 初期費用・運用費・隠れコストの合計 |
④ ROI試算 | テンプレートに数値を入れROI・回収期間を算出 | ROI%・回収期間・3シナリオの感度分析 |
⑤ 経営層説明 | 試算を稟議資料に組み立てる | 1枚サマリ・想定問答・撤退基準 |
多くの担当者は②から始めようとしますが、本記事は①の業務選定から手をつけることを推奨します。効果が出やすい業務を選ぶことが、稟議成功の最短ルートだからです。
試算前に決めておく3つの変数
ステップに入る前に、社内で握っておきたい前提変数が3つあります。これを後で動かすと試算が崩れるため、最初に決めましょう。
- 評価期間: 3年か5年か。SaaSや業務改善系は3年、基幹システム刷新は5年が一般的です。実務では3年で計算するケースが多く見られます(DX投資のROI評価方法(start-link))。
- 割引率(NPV適用の有無): 厳密にはお金の時間価値を考慮した正味現在価値(NPV)で評価しますが、中小〜中堅規模では割引率を簡易に扱うか、適用しないことも多くあります。社内で財務部門と擦り合わせましょう。
- 対象業務の境界: どこからどこまでの業務をシステム化対象とするか。境界が曖昧だと効果額も投資額も発散します。
これらが決まったら、ステップ①に進みます。
ステップ1 投資対象業務の選定——効果×実現性マトリクスで優先順位を決める

ROI試算でつまずく担当者の多くは、いきなり「効果を金額化する」作業に入ろうとします。しかし、その前にやるべきことは「そもそも、どの業務をシステム化の対象にするか」を決めることです。
効果額を作りやすい業務を選ぶことができれば、稟議の難易度は大きく下がります。逆に、効果が見えにくい業務を選んでしまうと、いくら時間をかけて試算しても説得力のある数字は作れません。
業務棚卸しで効果が出やすい業務を見つける
効果が出やすい業務には共通の特徴があります。以下の4つの特徴を持つ業務を優先的にリストアップしましょう。
特徴 | 効果が出やすい理由 |
|---|---|
定型業務 | 処理ルールが決まっており、自動化・効率化の効果を読みやすい |
大量発生する業務 | 1件あたりの削減効果が小さくても件数が多く、累計効果が大きい |
属人化している業務 | 担当者が抜けると業務が止まるリスクがあり、定量化以外の説得力もある |
データを手集計している業務 | Excelで人手集計している作業はシステム化効果が見えやすい |
例えば「請求書処理」「在庫数集計」「営業日報の集計」「経費精算」「顧客問い合わせの一次受け」などが該当します。逆に「営業戦略の策定」「商品企画」のような非定型業務は、効果額を金額化しにくく、ROIで戦うのには不向きです。
効果×実現性マトリクス
棚卸しした業務候補を、「効果額の大きさ」と「実現性」の2軸でマトリクスに配置します。実現性とは、業務分析のしやすさ・データ収集の容易さ・現場の協力度などを総合した変数です。
実現性: 高 | 実現性: 低 | |
|---|---|---|
効果額: 大 | 優先実施: 最初に稟議に上げる | PoC検討: 小規模実証で実現性を高める |
効果額: 小 | 棚上げ: 余力時に実施 | 対象外: 今回は見送り |
この4象限のうち、稟議に上げるべきは「優先実施」(右上にあたる象限:効果額大×実現性高)に該当する業務です。「PoC検討」(左上:効果額は大きいが実現性に課題がある)の業務は、いきなり本格導入の稟議ではなく、まずは小規模実証(PoC)の稟議に切り替えると通りやすくなります。
ここで重要なのは、マトリクスを作ること自体が稟議書の説得材料になることです。経営層から「なぜこの業務をシステム化対象に選んだのか」と問われたとき、「他の候補と比較した結果、効果と実現性の両方で最も優位だったから」と答えられます。
マトリクスを稟議資料に組み込む
業務選定マトリクスは、稟議資料の冒頭に「業務選定の正当化ページ」として1ページ確保しましょう。記載する要素は次の通りです。
- 候補業務リスト(5〜10件)
- 各業務の効果額・実現性の評価コメント
- マトリクス上での配置
- 選定理由の3〜4行のコメント
このページは「ROI試算の妥当性」とは別の論点である「なぜ他の選択肢ではなくこれなのか」に答えるためのもので、経営層が安心して稟議に承認印を押す材料になります。試算結果を1枚にまとめる稟議書サマリは、本記事の後半(経営層への説明セクション)で別途扱います。
ステップ2 効果の定量化——業務効率化・コスト削減・売上増加の試算方法
業務が選定できたら、次は効果を金額に変換します。効果は大きく業務効率化効果・コスト削減効果・売上増加効果の3カテゴリに分かれます。
このステップは、稟議で「効果額の根拠が薄い」と差し戻される最大の原因になる工程です。経営層が突っ込みやすい論点を先回りで解説します。
業務効率化効果——時給単価の正しい設定方法
最も典型的な効果計算は「削減時間 × 時給単価 × 対象人数 × 年間稼働日」の式です。
業務効率化効果(円/年) = 月間削減時間 × 12ヶ月 × 時給単価 × 対象人数
ここで稟議書を作る担当者がよく間違えるのが、時給単価に「給与だけ」を使ってしまうことです。年収400万円の社員の時給は単純計算で約2,000円ですが、これを使うと効果額が過小評価されてしまいます。
実務で使うべき時給単価は、給与に加えて以下を上乗せした「実質人件費」です。
- 法定福利費(社会保険料の会社負担分など、給与の15%前後)
- 賞与・退職金引当
- オフィス賃料・PC・通信費などの間接コスト
- 管理部門の人件費按分
これらを合算すると、実質的な時給単価は給与ベースの1.5〜2倍になります。年収400万円の社員なら、稟議書で使う時給単価は3,000〜4,000円が妥当な水準です。財務部門に「弊社の人件費単価はいくらで計算すべきか」を確認すれば、社内標準を教えてくれるはずです。
削減時間の「現実的見積もり」——50%ルールとシナリオ分岐
もう一つ、経営層が必ず突っ込んでくる論点があります。「削減した時間は、本当に他の価値ある業務に再配分できるのか」という問いです。
「月間40時間削減できる」と試算しても、40時間まるごとを売上に貢献する業務に振り向けられるとは限りません。実務では、削減時間の何割を「実際に他業務に充当できるか」を保守的に見積もります。
充当先 | 効果計算の扱い |
|---|---|
残業削減 | 削減時間 × 残業時給単価(通常時給の1.25倍)。最も確実な効果 |
他業務への再配分 | 削減時間 × 充当率(50%程度)× 通常時給単価 |
増員回避(人員適正化) | 削減時間 ÷ 月160時間 × 想定人件費。退職・採用ペースに依存 |
例えば月間40時間の削減が見込まれる場合、「全額が残業削減」と仮定するか、「半分は残業削減・半分は再配分で50%充当」と仮定するかで効果額は大きく変わります。後者の方が保守的で、経営層からの突っ込みに耐えやすい試算になります。
担当者の方は、ぜひ「削減時間の50%しか効果に換算しない」ベースケースを作っておきましょう。「楽観的すぎる試算」と言われたときに、「実は50%しか換算していません」と返せると、説得力が一段上がります。
コスト削減効果——直接的な支出減を拾う
業務効率化効果と別に、直接的な支出が減る項目は分けて試算します。こちらの方が経営層からの異論が出にくい、強い効果です。
- 外注費の削減: 業務委託・データ入力外注・経理代行などの月額費用
- 印刷・郵送費の削減: 紙ベース業務の電子化による直接削減
- 在庫廃棄ロスの削減: 在庫管理システム導入による廃棄量×単価
- 問い合わせ対応工数の削減: ヘルプデスク・FAQシステム導入による工数×単価
- データミスによる手戻りコストの削減: ミス1件あたりの是正コスト×発生件数
これらは現状の請求書・経費明細から実額を取れるため、効果額の根拠を示しやすい項目です。「現状コストの実額から計算した削減効果」を必ず1項目以上含めると、試算全体の信頼性が大きく高まります。
売上増加効果——代替指標で表現する
売上増加効果は、最も金額化が難しいカテゴリです。「システムを導入したから売上が増えた」という因果は事後的にも証明しにくく、稟議書ではむやみに大きな数字を計上しない方が安全です。
ただし、業務によっては以下の代替指標で売上効果を試算できます。
- 販売機会損失の回収: 在庫切れによる失注の現状値 → システム導入後の改善見込み
- リードタイム短縮による受注増: 見積回答までの日数短縮 × 受注率向上 × 平均受注額
- 客単価向上: クロスセル・アップセル機能の追加による平均購入額の変化
これらを試算する際は、「現状値が分かるものだけ」を計算対象にするのがコツです。「導入すれば売上が10%増えるはず」のような根拠の薄い試算は、稟議で必ず潰されます。
定量化が難しい効果の「代替指標」
最後に、「金額化はできないが効果として認識すべき」項目を整理します。これらは効果額には計上しないものの、定性効果として稟議書に明記しておくと、ROIが目標値に届かない場合の補強材料になります。
定性効果 | 代替指標 | 換算ロジックの例 |
|---|---|---|
顧客満足度向上 | 離反率の変化 | 離反率1%改善 × 平均顧客LTV |
意思決定速度の向上 | 案件リードタイムの短縮 | 短縮日数 × 案件粗利益への影響 |
ガバナンス強化 | 監査対応工数の削減 | 監査対応時間 × 監査単価 |
採用力向上 | 離職率の改善 | 離職1名あたり採用・育成コスト(業界平均で数百万円規模とされる試算もあります) |
これらは「効果額累計の本表」とは分けて、補足ページに記載することをおすすめします。本表に混ぜると、ROIの数字の信頼性が薄まる印象を与えてしまうためです。
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この資料でわかること
発注検討者がシステム開発の費用体系を正しく理解し、「この見積は適正か」「どのくらい予算を確保すれば良いか」を自分で判断できるようになること。
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ステップ3 投資コストの算定——初期費用・ランニング・隠れコストをTCOで把握
効果額が見えてきたら、次は投資側のコストを算定します。ここで重要なのは、初期費用だけでなく、システム導入後の運用・保守・教育・改修まで含めた総保有コスト(TCO: Total Cost of Ownership)で把握することです。
業界の定説として、システムの導入時の初期費用はTCO全体のおよそ20%程度に過ぎず、残りの80%は導入後の維持管理・教育・運用サポートが占めるとされています(TCO(総所有コスト)の算出方法(start-link))。初期費用だけで稟議を通すと、運用フェーズで予算が膨らみ、信頼を失います。
TCOの考え方の詳細はTCO(総保有コスト)とは?システム発注前に5〜10年の費用を試算する方法でも解説していますので、合わせて参照してください。
投資コストの3層構造
投資コストは以下の3層に分解して試算します。
1. 初期費用(イニシャルコスト)
- システム開発費・ライセンス購入費・SaaS初期費用
- ハードウェア購入費・ネットワーク整備費
- 導入支援コンサル費・要件定義費
2. 運用費(ランニングコスト)
- 月額/年額ライセンス費・SaaS利用料
- 保守契約費・運用委託費
- インフラ利用料(クラウド利用料・回線費)
- 内製運用担当者の人件費
3. 変革コスト・教育コスト
- 業務プロセス変更に伴う一時的な生産性低下
- ユーザー教育・研修費
- マニュアル整備・社内推進担当の人件費
見落としやすい「隠れコスト」5項目
担当者が見落としがちな費目は以下の5つです。稟議書に必ず計上しましょう。
- データ移行費用: 既存システムからの移行作業・データクレンジング工数
- 並行運用期間のコスト: 新旧システムを同時に動かす期間の人件費・ライセンス費
- 教育研修費: 全ユーザー対象の研修費・eラーニング作成費・OJT工数
- 社内PM工数: プロジェクトマネージャー・推進担当者の人件費(実質時給単価で計上)
- 運用後の改修費: リリース後の追加要件対応・カスタマイズ費用(初期費用の10〜20%を年間予算として確保)
これらは「実際に発生してから初めて気づく」項目が多く、稟議承認後にコストが膨らむ最大の原因になります。最初の試算段階で計上しておくことで、後の信頼失墜を防ぎます。
「現状維持コスト(Do nothing)」の数値化
最後に、稟議書の説得力を一段上げる工夫を紹介します。それが「現状を維持した場合のコスト」(Do nothingコスト)の数値化です。
新システムを導入しない場合、以下のコストが発生し続けます。
- 既存業務にかかる人件費(システム化対象の業務工数 × 時給単価)
- 既存システムの保守費・改修費
- ミス・遅延による損失額
- 属人化リスク(担当者の離職時に発生する引き継ぎ・採用コスト)
これらを「3年間の現状維持コスト」として試算し、新システム導入時のTCOと並べると、「投資する vs しない」の比較が見えるようになります。経営層からの「本当に投資する必要があるのか?」という根本的な問いに、定量的に答えられるようになります。
ステップ4 ROI試算テンプレート——記入例つきで自社数値に置換

ここまでで、効果額と投資コストの試算ロジックが揃いました。次は、それを1つの試算表にまとめます。本セクションでは、そのままExcelに転記できるテンプレートを記入例つきで提示します。
記入例の前提:請求書処理システム導入
具体性を持たせるため、以下の前提で記入例を作成します。自社の数値に置き換えれば、そのまま稟議書の骨子になります。
項目 | 前提値 |
|---|---|
業種 | 製造業(年商10億円規模) |
対象業務 | 請求書処理(受領〜仕訳〜支払承認) |
経理担当 | 3名 |
月間請求書件数 | 500件 |
1件あたり処理時間(現状) | 12分 |
1件あたり処理時間(導入後) | 3分 |
評価期間 | 3年 |
時給単価(実質人件費ベース) | 3,500円 |
試算ブロック1: 効果試算表
業務効率化効果
項目 | 計算式 | 値 |
|---|---|---|
月間削減時間 | (12分−3分) × 500件 ÷ 60分 | 75時間 |
充当率(50%ルール) | — | 50% |
充当時間(月間) | 75時間 × 50% | 37.5時間 |
年間削減時間 | 37.5時間 × 12ヶ月 | 450時間 |
業務効率化効果(年間) | 450時間 × 3,500円 | 1,575,000円 |
コスト削減効果(直接削減)
項目 | 計算式 | 値 |
|---|---|---|
印刷・郵送費削減 | 月3万円 × 12ヶ月 | 360,000円 |
外注費削減(経理BPO一部解約) | 月8万円 × 12ヶ月 | 960,000円 |
入力ミス再処理工数削減 | 月10時間 × 12ヶ月 × 3,500円 | 420,000円 |
コスト削減効果(年間) | — | 1,740,000円 |
年間効果額合計
項目 | 値 |
|---|---|
業務効率化効果 | 1,575,000円 |
コスト削減効果 | 1,740,000円 |
年間効果額合計 | 3,315,000円 |
3年間効果累計 | 9,945,000円 |
試算ブロック2: 投資コスト表
費目 | 金額(円) | 備考 |
|---|---|---|
初期費用 | ||
システム開発・初期設定費 | 3,000,000 | ベンダー見積り |
データ移行費 | 500,000 | 過去2年分の請求書データ移行 |
要件定義・PM工数(社内) | 600,000 | 担当者2名×3ヶ月×時給単価 |
初期費用 小計 | 4,100,000 | |
運用費(3年合計) | ||
SaaSライセンス費 | 1,800,000 | 月50,000円 × 36ヶ月 |
保守・運用委託費 | 720,000 | 月20,000円 × 36ヶ月 |
運用費 小計 | 2,520,000 | |
変革コスト・教育コスト | ||
ユーザー研修・マニュアル整備 | 300,000 | 全社員30名対象 |
並行運用期間の追加工数 | 400,000 | 並行運用2ヶ月分 |
変革コスト 小計 | 700,000 | |
追加改修予算(3年合計) | ||
リリース後の改修・追加要件対応 | 900,000 | 初期費用の約20% |
追加改修 小計 | 900,000 | |
投資コスト総額(3年TCO) | 8,220,000 |
試算ブロック3: ROI集計表
指標 | 計算式 | 値 |
|---|---|---|
3年間効果累計 | — | 9,945,000円 |
3年TCO | — | 8,220,000円 |
純効果(3年) | 9,945,000円 − 8,220,000円 | 1,725,000円 |
3年ROI | 1,725,000円 ÷ 8,220,000円 × 100 | 約21% |
投資回収期間 | 8,220,000円 ÷ 3,315,000円 | 約2.5年 |
楽観/標準/保守の3シナリオ感度分析
経営層が必ず聞いてくる質問が「他のシナリオはないのか」です。標準シナリオに加え、効果変数に±20〜30%の幅を持たせた3シナリオを準備しましょう。
シナリオ | 想定 | 年間効果額 | 3年ROI | 回収期間 |
|---|---|---|---|---|
楽観 | 充当率70%・コスト削減効果+20% | 約4,290,000円 | 約57% | 約1.9年 |
標準 | 充当率50%・コスト削減効果±0% | 3,315,000円 | 約21% | 約2.5年 |
保守 | 充当率30%・コスト削減効果−20% | 約2,340,000円 | 約−15% | 約3.5年 |
3シナリオを並べると、以下のメッセージが立体的に伝わります。
- 標準シナリオでROIプラス・回収期間2.5年で稟議基準を満たす
- 楽観シナリオでは1.9年で回収。経営判断のアップサイド
- 保守シナリオでもダウンサイドは大きくない(赤字幅は限定的)。撤退判断の基準が明確
経営層が知りたいのは「最良ケースの数字」ではなく、「最悪ケースでもどこまでで止まるか」です。保守シナリオを併記することで、ダウンサイドの説明責任を先に果たしておきましょう。
テンプレートをExcel化する際の指針
上記の試算は、そのままExcelに転記できる構造になっています。Excel化する際のポイントは以下です。
- 前提条件シート・効果シート・コストシート・サマリシートの4シートに分ける: シナリオ切り替えがしやすくなります
- 「前提条件」セルを参照する数式で組む: 時給単価や充当率を変えると、全体が自動で再計算される構造にします
- シナリオ切替セルを1か所だけ作る: ドロップダウンで楽観/標準/保守を切り替えられるようにすると、稟議の場で即座にシミュレーションできます
シナリオを切り替えてもロジックが破綻しないExcelを作れれば、ステップ5の経営層説明はかなり楽になります。
ステップ5 経営層への説明——稟議で突っ込まれる論点を先回りする

試算ができたら、最後はそれを「稟議で承認される形」に組み立てます。試算ができても、見せ方を間違えると稟議は通りません。
経営層が判断に使う4つの軸
経営層は稟議書を見るとき、以下4つの軸で判断しています。
判断軸 | 経営層の関心 | 稟議書に書くべき内容 |
|---|---|---|
投資回収期間 | いつ回収できるか | 標準シナリオでの回収期間(例: 2.5年) |
総効果 | 累計でいくら得られるか | 3年効果累計とROI% |
戦略整合性 | 中期計画と整合するか | 経営計画のどの方針に紐づくか |
撤退ライン | 失敗時にいくらで止まるか | 6ヶ月後・1年後の効果モニタリング指標と撤退基準 |
担当者は①②(数字)に注力しがちですが、③戦略整合性と④撤退ラインを明示することで、稟議の通過率が一段上がります。
稟議書1枚サマリの構成
稟議書には「数値サマリの1ページ」を冒頭に置きます。先ほど「業務選定の正当化ページ」を別途用意したのと同じく、これは試算結果そのものを経営層に一目で伝えるためのページです。
ブロック | 記載内容 |
|---|---|
投資対象 | 対象業務・システム名・導入範囲 |
投資額 | 3年TCO総額・初期費用・年間運用費の内訳 |
期待効果 | 年間効果額・3年効果累計・効果の内訳(業務効率化/コスト削減/売上増) |
ROI・回収期間 | 標準シナリオの3年ROI・回収期間 |
3シナリオ | 楽観・標準・保守の3パターンを横並びで表示 |
前提条件 | 時給単価・充当率・評価期間 |
撤退基準 | 「6ヶ月後の月間削減時間が30時間未満なら追加投資を停止する」等の具体的基準 |
この1ページを見れば、経営層は「投資判断に必要な情報がすべてここにある」と認識できます。詳細な試算表は別添資料に回し、サマリページは数値の本質に絞りましょう。
想定問答集——よくある反論5パターンと回答例
最後に、稟議の場で必ず出てくる5つの反論と、その回答例を提示します。事前に準備しておけば、その場で慌てずに対応できます。
Q1: 「効果が楽観的ではないか?」
A: 標準シナリオは、削減時間の50%しか効果に換算しない保守的な前提で計算しています。さらに保守シナリオでは充当率30%まで落としても、ダウンサイドは限定的です(数値で示す)。逆に楽観シナリオではROI 57%まで上振れる余地があります。
Q2: 「他にやるべき投資があるのではないか?」
A: 業務選定の段階で、社内の業務改善候補◯件を効果×実現性マトリクスで評価しました(マトリクスを提示)。本案件は「効果額大×実現性高」の象限に位置し、他候補と比較して最も投資効果が見込まれる業務です。
Q3: 「失敗したらどうするのか?」
A: 6ヶ月後と1年後にKPIモニタリングを実施します。「月間削減時間が30時間を下回る」「コスト削減効果が想定の50%未満」のいずれかが発生した場合、追加投資を停止し原因分析に切り替えます。最大損失額は◯◯円に限定されます。
Q4: 「現場が使わなかったらどうするのか?」
A: 現場利用率を撤退基準のKPIに含めています(例: 6ヶ月後の利用率70%未満で警戒)。また、要件定義段階から現場の経理担当3名がプロジェクトに参加しており、現場視点でのフィット感は事前に確認済みです。
Q5: 「もっと安く済まないか?」
A: 初期検討段階で◯社のベンダーを比較しました(比較表を提示)。本案件で選定したベンダーは、機能要件を満たしつつ最も総保有コストが低い選択肢です。さらに、PoCフェーズで実装範囲を絞ることで、初期費用を◯◯万円圧縮する余地もあります。
これらの想定問答は、稟議書本体ではなく口頭説明用のメモとして準備します。経営層から質問が出たときに、即座に数値で答えられる状態を作っておくことが、稟議突破の最後の決め手になります。
まとめ——システム化ROI試算は「稟議突破の設計図」
DX・システム化のROI計算を5ステップで解説しました。最後に要点を振り返ります。
ステップ | 要点 |
|---|---|
① 業務選定 | 効果×実現性マトリクスで「効果が出やすい業務」を最初に選ぶ |
② 効果定量化 | 時給単価は実質1.5〜2倍。削減時間は50%ルールで保守的に。コスト削減は実額から取る |
③ 投資コスト算定 | 3層構造(初期・運用・変革)+ 隠れコスト5項目 + 現状維持コスト比較 |
④ ROI試算 | テンプレートに自社数値を入れる。楽観/標準/保守の3シナリオを並べる |
⑤ 経営層説明 | 1枚サマリ + 撤退基準 + 想定問答5パターンで稟議突破 |
本記事の冒頭で触れた裏テーマを改めて確認しましょう。検索者が悩んでいるのは「ROIの計算式」ではなく、「自社の数値を、どの単価で、どこまでの範囲で拾えば妥当な効果額になるか」という手順と根拠でした。
5ステップの本質は、「数字を作る作業」ではなく「投資判断のロジックを設計する作業」です。ロジックがしっかりしていれば、経営層からの突っ込みは想定範囲内で対応できます。逆にロジックが薄いと、どんなに大きな効果額を計上しても稟議は通りません。
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